練習場移転:平成17年(2005年)3月

平成17年3月20日、練習場の拠点を体育振興施設2階から格技場に移転しました。
京都八幡レスリングの歴史・沿革として、レスリング道場が誕生した経緯から、
新道場に拠点を移すまでの出来事を書き残します。(文責:浅井 努<監督>)

①レスリング部・レスリング道場の誕生(平成10年4月)

kyu-dojyo.jpg旧レスリング場 平成9年度、私が八幡高校に赴任した当時、体育振興施設2階(ミーティングルーム)は物置部屋状態でした。入学式や卒業式時に使用するパイプ椅子や長机と、保健の授業等でビデオを見せられるようにとテレビ・ビデオが置いてあるだげでした。この部屋は日頃めったに使用することがなかったので、ほこりもたまり、正直とても汚い部屋でした。「使われていないこの部屋ならマットをひくことができる。授業にも何の支障もない。この部屋にマットを引き詰めレスリング専用道場にすることができる」と考え、平成9年10月頃、当時の今井興治校長に「体育振興施設にマットをひくことができます。部員はこれから集めるので来年4月にはレスリング部を創部させて欲しい」と直訴。簡潔に書きましたが、校長室には何度も足を運び今井校長にお願いしました。その後、私の思いが通じてくれたのか、部員を集めるという条件で同好会を経ない異例の創部を認めて頂きました。そして、次に「マットを買って下さい」とお願いしたものの「浅井君、最初から、めちゃくちゃなこと言うな」と一喝。普通に考えれば、部員もいない、実績も何もない、できたてのクラブに高価なレスリングマットなど購入してくれるわけがありません。当たり前の話です。しかし、こんなところで簡単には妥協できません。「どうしようか?」と悩んでいた頃、「弥栄町に、京都国体で使用されたマットが、使用されずに保管されている。」という話が耳に飛び込んできました。そこで、当時の小田垣教頭に、この話を説明。小田垣教頭が「浅井さん、一緒にお願いにいこう」と力になってくれました。
 「もうこれしかない」という思いで、平成10年2月、小田垣教頭と一緒に弥栄町へお願いにあがりました。そして、願いが通じマットを譲って頂くことになりました。この時点でマットがなければ今頃どうなっていただろう?と思います。このような経緯で、マットが八幡高校へ入ることが決まり、ミーティングルームにマットがひけるよう準備に入りました。パイプ椅子や机を他の倉庫へ移動したり、床や壁や窓がほこりなどで汚れていたため、平成10年3月は毎日、放課後から20時ころまで、徹底して掃除に明け暮れました。きれいにするまで、約1週間かかりました。そして、年度が変わる3月末、マット搬入。建物の構造上、マット一面の半分しかひけませんでした。そのマットの横には柔道部で使用しない畳を頂き、建物の床すべてにマットと畳をひき詰めました。部員は一人もいません。掃除やマット・畳ひきは、当時のハンドボール部員など多くの生徒が力を貸してくれました。こうして、この体育振興施設2階・ミーティングルームをレスリング専用道場に変えました。この道場は決して簡単にできたわけでなく、私にとっては特別な思いのある道場でした。

②練習場の移転を考える(平成16年3月頃)

 先にも述べましたが、レスリング道場の広さは、マット一面(12㍍×12㍍)の約半分ほどです。体育振興施設の建物の構造が、縦長の長方形であるために、マットは半分しかひけません。建物が正方形であれば、マットを全て置くことができ、キャンバスをしっかりとめることができましたが、こればかりは仕方がないことでした。マットの周りには、マットがずれないように、隙間ができないように木材と畳で固定し、危なくないように、残りのひけなかったマットを置きました。道場は狭いですが、ひきっぱなしの専用道場なので、朝早くだろうが夜遅くでも、いつでも練習できました。また、セコムも入りセキュリティー面も管理して頂いているので安全でした。しかし、問題点が多く出てきました。
 一番の問題は、この体育振興施設は、結露がひどいことです。冬の12月~3月までは最悪状態。窓ガラスはいつも水滴で外が見えません。壁にも大きな水滴、壁からマットへ伝わり、冬の時期はマットが濡れている状態でカビが生えマットの材質が腐ってしまいました。このように使用できないマットが多くなり、処分しなければならないマットが多く発生してきました。
 また、この施設の床はコンクリート。コンクリートの床の上に、マットをひいて練習してきました。小学生ならば、まだ身体も大きくなく体重も軽いので膝への衝撃も少なくて問題ありませんが、中・高校生になれば、身体も大きく体重も増えてきます。
 結露が原因で傷んでいるマット上では、膝への負担が大きく故障が考えられます。また、練習場は縦に長いため、高校生の練習となれば、スペースの狭さを感じます。スパーリングともなればすぐに「ブレーク」をかけなければなりません。
 17年度には文珠 涼、18年度には田中幸太郎・津田豊史・原子紫文など続々とジュニア出身の選手達が上がってきます。インターハイ優勝を目指すには、一刻も早く格技場への移転が必要と考えました。

③格技場への移転交渉・説明(平成17年1月~3月初旬)

 どこの学校もそうですが、学校というのは授業第一で動きます。まず、授業がしっかり成立しなければ何も動けません。レスリングの練習場が格技場に移転することで、体育の授業に影響が出てしまっては、移転はできません。
 そこで、レスリングが格技場に移転しても、年間を通じて授業には支障はないか?他のクラブ活動は問題ないか?等々、いままでと変わらないことを証明するために、あらゆる面から見直し、全教職員に説明し説得に入りました。
 なんとか、熱意が伝わったのか?GOサインを頂き、3月20日(日)いよいよ移転という運びとなりました。

④旧レスリング道場(体育振興施設2階)撤去作業(平成17年3月18日)

 3月18日(金)、選手と保護者とで午後練習終了後の19時30分から旧レスリング道場の撤去をしました。使用していたマット・畳をすべて上げる。結露のためマット材質が腐り使用困難なマットと問題のない使用可能なマットを分ける作業、ベンチやトレーニング器具などの大移動、大掃除等々、22時までの約2時間30分と大がかりな作業でした。

⑤格技場への移転(平成17年3月20日)

dojyo.jpg新レスリング場 3月20日(日)格技場に大移動しました。マット一面(12㍍×12㍍)を引き、キャンバスを締めて、周りにはマットを引き詰め、新しい格技場が完成しました。キャンバスは以前使用のキャンバスが破れてもいませんし、まだまだ使用できるので、古いキャンバスをひいています。
 八幡高校で大会開催の場合は、新キャンバスを使用します。天井には約10㍍のロープが5本、正面左側には技術研究のためのテレビ・ビデオ、冷蔵庫、体重計、指導者や来客が使用する北山杉の木製ベンチなどを設置。正面右側には、トレーニング器具類、選手達のロッカー、清掃道具入れ、寒い冬に使用するオイルヒーター、ストーブ、暑い夏に使用する大型扇風機などを保管と、どこの高校・チームにも負けないレスリング道場が完成できたと思っています。あとは、この道場からインターハイ優勝者を多く輩出させることが私の使命です。使用を認めて頂いた教職員の皆さんの期待にも応えなければならないと思っています。